とある記事を読んだ。理解できる部分がほとんどなのだけれど、いくつか引っかかるところがあった。
おそらく筆者自身が言うように、偏見的な面があるからだと思う。
ここ、うまく言えないのだけれど……本来のHSPと呼ばれる性質を持つ人々は、その性質を「利用」できるものなのだろうか。私も恐らくその傾向があるけれど、配慮してしまう人々にとって「自分はこうだから配慮してほしい」と声を上げることは、とても難しいのではないかと思う。
そもそも「繊細」という言葉は美点なのか。私には弱点としか思えなくて。大多数の人に自分の弱点を開示したところで良くなることはほとんどなかったし、むしろ隠してしまうものだと感じている。
自称HSPを名乗って配慮を求める人が増えているのは、確かに最近よく見かける。それによって本来その性質を持つ人たちがさらに辛くなっている状況もあると思う。でも、ラベルを自分に使うこと自体の否定には、私はいまいち賛同できない。否定の理由も理解はできるけれど、これは個人それぞれの考え方なのだと思う。
筆者が自称HSPの方々との様々な経験を通して、HSPという言葉に良い印象を持っていないのは分かる。ただ、記事で言及していることと「経験則を持つのは仕方がない」という姿勢は、少し矛盾しているようにも感じる。経験則も、ひとつの「ラベル」ではないだろうか。
最後に本来のHSPと呼ばれる人々と出会って見方が変わったとは書かれているけれど、その解決策が「ラベルの否定」に向かうことには、個人的に少し違和感を覚えた。